詩が音でしかなかった頃
沢田研二さんがめちゃくちゃ売れっ子だった、わたしの幼き頃。
「勝手にしやがれ」という曲を覚えて、歌いながら帽子を投げるパフォーマンスをどんだけ真似したことか。
あの頃、歌詞は単なる音に近く、意味とか背景とかを理解できないまま歌っていた。
大人になって歌詞を読んでみると、日当たりの悪い1DKのアパートから出て行く女と、痩せた若い男がやさぐれている背中が浮かんでくる。
作詞は大御所の阿久悠氏だ。
もうこの男はダメだと見切りをつけた女が出て行く時、頭の中は多分「いや、マジ損した。無かったことにしたいわ。」という思いしかないだろうが、歌詞はあくまで男目線である。
小さい頃、そういう世の中の現実を親から教えてもらいたくていろいろ質問したのだが、「そういうもんなの」とか「あんたは理屈っぽいね」と言われて相手にしてもらえなかった。
ひょっとしたら、そいうことがわからないことこそが幸せで、無垢な心を持った子供らしい時期を短くしてしまうのは罪だと思ったのかもしれない。
厳しい世の中を渡るためには早めに教えてもらいたかった気がする。